「結果至上主義」の乱用について
「結果至上主義」は最高なのか?
結果至上主義…過程ではなく、結果を出してなんぼ!という考え方だと思っています。
潔い考え方だし、根性あるし、なんかシビアな感じが大人っぽくってかっこいい。
実際、結果出してないと何に関しても説得力が生まれないですよね。
でも、最近それを言い訳に使っている自分に気がついたのです。
TOEIC800点という目標で気付いたこと
私は今「TOEIC800点」という目標を掲げていますが、
800点を目指したい理由は、好きな英語を話せるようになりたいからです。
英語の勉強をしたい気持ちがベースにあります。
なのに、800点に向けてガリガリ勉強して、英語がいやになりかけた時に、ふと「そもそもなんでこんなに必死に800点目指してるのか?」と考えて、気付きました。
いつのまにか「TOEIC800点越え」という肩書きへの憧れを勉強のモチベーションにしていた!
もっと言うと、他人から「すご〜い!」と言われたいがために勉強してしまっていた!!
本来の「好きな英語を話したい」は何処へやら…
結果至上主義の罠とは…
結果を出すことに成功すると、いとも簡単に他人からの評価を挙げられます。
そしてそういう経験は誰しもあると思います。
だからこそ、定量的な目標を設定して見た途端に、他人から認められる自分の絵が浮かんできて
承認欲求ばかりに熱心になってしまう。
本来は自分自身の目的を達成するための努力のはずが、
他人に振り回されて、どんどん苦しくなっていく…
でも「努力=大変なこと」「結果を出す=苦行」という思い込みのせいで
目的がすり替わっていることに気づけない。
「結果至上主義」という言い訳にご注意を
「楽しくない」「やりたくない」なのに無理してやる続けている時
「だって結果出さないと意味ないからさ…」と、都合も格好もつく言い訳をしていないでしょうか。
苦しいからって、正当な努力をしているとは限りません。
「結果出して他人に認められたい主義」になっていないか?
その努力で手に入るものは。本当に欲しているものか?
よく考えないといけないなあ、と思った一週間でした。